『かぐやは月には帰れない』◆第16話 捨てられた子

光が、まぶたの裏をゆっくり押し上げた。

その光は、夢の終わりを告げる合図のようだった。

——私は目を開けた。

さっきの夢で見た天井。

少し湿った空気。

布の匂い。

身体の重さ。

ゆっくり視線を横に向けると、

黒い髪の女性がいた。

優しい目。

柔らかい表情。

敵意のない、あたたかい人。

その人が、私の右手を握っていた。

温かい。

とても温かい。

その温度が、夢ではなかったことを教えてくれた。

女性が気づいて、微笑んだ。

「おはよう、おきたのね」

その声は、胸の奥に静かに沁みていく。

落ちて、広がって、私を包む。

でも私は答えられなかった。

喉が痛い。

声が出ない。

身体が重い。

そのとき——

部屋の外から、誰かの足音が近づいてきた。

「オウナ、入ってもいいか?

かぐやの様子はどうだ?」

オウナ。

この人の名前なのかな。

そして——

かぐや。

誰の名前だっけ?

ああ、私か?

どうして知っているんだろう。

扉が開いて、背の高い男性が入ってきた。

白い髪。

強い目。

でもその奥に、深い優しさがあるような目。

たぶん知らない人。

だけど不思議と怖くなかった。

「目が覚めたのか。本当によかった。」

聞き覚えのあるその声は、

どこか懐かしいような、

でも思い出せない声。

男性は私の戸惑いを見て、ゆっくり説明してくれた。

私が月から来たこと。

貨物用のカプセルで落ちてきたこと。

生死を彷徨っていたこと。

ここは月ではないこと。

そして——もう月には戻れないこと…

そうだ、私は月から地球に送られたんだった。

戻れない、そんなことは知っていたはずなのに、いざ告げられると

——戻れない。

その言葉が胸に刺さった。

理解してるはずだった。

でも理解したくなかった。

ついさっきまで月にいたのに…

もう戻れない?

楽しい思い出ばかりじゃなかったけど、嫌われてたって私にとっても唯一の故郷なのに…

——私は月に捨てられた。

否定したかった。

でも否定できなかった。

わかっていたはずなのに、理解していたはずなのに…

どうしてだろう、涙が止まらない。

私はこんな風に泣く子じゃなかったのに。

もっといい子でいなきゃ。

ものわかりのいい子でいなきゃ。

いい子はこんな風に泣いたりしないのに。

いい子はこんな嫌なこと考えたりしないのに…

なんで会社は私を地球に送ったの?

なんでママは止めてくれなかったの?

なんで誰も「それは間違ってる」って言ってくれなかったの?

妹とケンヂもみんなも私なら大丈夫ってなんなのそれ?

もっと強く止めてよ。

なんで誰もおかしいって文句を言ってくれないの?

私ってそんなにいらない子なの?

才能はないけど、私なりに頑張っていた。

怖がられながらも、避けられながらも、

それでも毎日必死にしがみついていた。

なのに——

なのに、なんで?

なんで捨てられちゃうの?

私まだがんばれたのに…

もっといい子でいられたのに…

なんで私…

もう戻れない、誰にも会えない?

どうしたらいいの——

誰か助けて……。

胸が苦しくなった。

息が吸えない…

息が吐けない…

「あっ……うっ……はっ……あ……」

せっかく見えるようになった世界が白く消えていく…

自分の心臓の音だけが耳の奥で響く。

誰も私のことなんてわかってくれない…

誰にも愛されないまま死んでいく…

私が私でないみたい

悪い悪魔が私の心を支配し始めたとき——

『かぐやちゃん!』

『かぐや!』

優しい声と強い声。

強い声と優しい声。

私の背中を優しくさすり、私の右手を優しく握ってくれる優しい目をした女性。

私の頭を撫で、私の左手をしっかり握ってくれる強い目をした男性。

その2人が私を引き戻した。

強く優しい目をした男性が私の目を見て優しく言った。

「俺も月から来たんだ。

もちろん自分の意思じゃないさ。

君ほど若いときじゃないが、それでも本当にキツかった。」

「月から…?」

「ああ、そしてここは、身体にはちょいとキツイが、

月で言われているような蛮族が支配する罪人の場所ではない。

ここは月より何倍も優しい場所だ!」

月より優しい場所?

優しいってなんだろう?

でもそのまっすぐな目に、深い優しさがあった。その声には、魂が乗っていた。

ああ、そうか…

その目は、その声は——

私をカプセルから救い出してくれた人だったんだ。

女性が続けた。

「そうよ。

かぐやちゃんはひとりじゃないわ。

ここでは誰もあなたを1人になんかしない。いくらでも甘えていいのよ。」

その声は本当に優しかった。

ああ、そうかこの人が、夢の中で私を呼んでくれた『ママ』だったんだ。

そして、私のために泣いてくれていた人だ。

2人に心を支えてもらいながら、なんとか涙は止まった。

胸の奥に、小さな光が灯った気がした。

私はゆっくりと息を吸って、

震える声で言った。

「ふつつかものですが…、

よろしく……お願いします。」

その瞬間、

2人が優しく笑った。

そして、私の世界が少しだけ優しくなった。

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