永遠に見つからないものを探し物といいます。
すぐ見つかってしまうものは、失くしものといいます。
人生とは何かを探す旅です。
しかし旅であるがゆえ、未知であるがゆえに、
すぐに見つかってしまうのもまた困りものなのです。
だから我々は見つかりそうでも、見つけられないふりをしてしまいます。
そう、子どもとかくれんぼをするときのように、
そこにいるのがわかっているのにわからないふりをするのです。
手に入れたら旅が終わってしまう。
見つけてしまったら、もう冒険はできないと。
そう思って人は見て見ぬふりをし、見つけていないと思い込もうとします。
最悪、あとで取りにくればいい。
そう思っていても、いざ取りに戻るとすでにそこにはないのです。
幸せは逃してはいけません。
すぐに見つけてしまったからといって、
いつでも手に入るものではないのです。
また見つけたからといって冒険が終わるわけではありません。
見つけたものが大事なものか、探し物だったのかわからない人もいるでしょう。
決めるのはあなた自身です。
これではないと強く思うのなら無視しても結構、
でもこれかもしれないと思うなら手をかざしてみましょう。
それで何かがわかるかもしれません。
手にとってしまえば、当然責任が生じます。
責任なきもの探し物を取るべからず。
でも探すのは自由です。
でもどうしても手にしたいのであれば、覚悟を持ちましょう。
覚悟はときに常識を超えます。
もしあなたが死ぬとき、何を思いますか?
大切な人ですか?昔の思い出ですか?
いいえ、違います。
あなたが考えるのは、死んだ後のあなたの恥ずかしいハードディスクの中身の行方です。
覚悟と責任と常識を持って恥ずかしいハードディスクの処理を考えておきましょう。
くれぐれも死後も現世を彷徨うハードディスク亡霊にならないように気をつけましょう。
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